柏合氣会40周年記念誌に寄稿させていただきました。
『合氣道を通して学んだ大和の心を日常に』
岸 真規子
私は合氣道を通して「武士道」の本質に触れることができていると思います。そしてその「武士道」にとても惹かれます。それは日本の美しい心がそこにあるように感じるからです。
合氣道開祖、植芝盛平先生は「真の武道とは愛の働き」とおっしゃっておられます。合氣は氣を合わせる調和の武道、それは日本(大和〈やまと〉)の心そのものです。
石川真理子著『女子の教養(たしなみ)』(致知出版社)という本には「武士道」は“男性のもの”とは限らないと書かれています。武士道の道徳律、たとえば仁(他者への愛)、義(損得ではない人として正しい行い)、礼(思いやり)、智(大自然の叡智、真理)、信(信頼、うそをつかない)、忠(裏切らない)、孝(目上の人への敬意)悌(弱い立場への配慮)は、「人としての大切なあり方」を説いています。
また同書にて、武士道では「女性」「母親」の役割がとても大きかったことも知りました。それは母親が真の武士道を教育しなければ、その子に武士道が伝わることがないからです。母の心も武士道の本質も同じではないかという発見は、私に大きなインパクトを与えました。
もうひとつ、私が影響を受けた本に玄侑宗久著『しあわせる力』(角川SSC新書)があります。それによれば、日本人の幸せ観は「仕合わせる」からきており、「仕合わせ」とは、「私のすることと相手のすることが合わさる…つまり、人と人との関係がうまくいくこと」であると書かれています。相手との調和(和合)が日本人の幸せ観の根っこにあるということは、開祖が言われている合氣道の本質、愛の働きと共通します。この氣づきもまた嬉しい発見でした。
この文章を書きながら、私が合氣道を通して日常に役立てている「学び」が3つあることに改めて氣づきました。
一つ目は「正面からぶつかりあわない」という感覚です。身体で学んでいるその感覚が、心という見えないものの場面においてもイメージできるため、以前より感情をコントロールしやすくなりました。
二つ目は「自分の能力を自己限定することなく、無限に広がる可能性に向かってチャレンジしつづける」という精神です。何度も何度も同じ稽古を繰り返し、わずかずつではあるものの上達していくプロセスと実績が、他の場面においても自分に自信と勇氣を与えてくれます。
三つめは「美しさ」の基本となる姿勢と呼吸です。姿勢が美しければ呼吸も深くなり、その影響は心にまた戻ってきます。稽古における実践で、心と身体が繋がって、良い循環が生まれてくる感じがします。その健全な循環が、日常の活力に繋がっています。
稽古で壁にぶつかったとき、私を勇氣づけてくれる詩があります。
【鈍刀を磨く】坂村真民
鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが
何もそんなことばに 耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ 刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を 光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ
私の技もいくら稽古しても、理想通りには上達しないかもしれません。けれども、コツコツと稽古を重ねていけば、たとえ技は光り切らなくとも私自身から余計なものが削げていき、命が光ってくるように思うのです。
そして、なかなか技が上達しない私を後ろからしっかりと見守ってくれ、勇氣づけてくれる方たちがいます。それが浦田師範をはじめとする柏合氣会の先生方です。
柏合氣会には、素晴らしい先生方ばかりいらっしゃいます。技だけではなくお人柄が皆さんそれぞれに素晴らしく、尊敬しています。それぞれの先生方の自然体が即お手本となっていることは、とても素敵なことだと思います。どんな人にも分け隔てなく真剣にご指導くださるそのお姿に、本当の優しさと温かさを感じます。先生方の生き方そのものに、武士道を感じるのは私だけではないでしょう。
このような先生方にご指導いただける有り難い環境をフルに生かし、また合氣道の稽古を通して高く純粋な精神性と胆力を身につけていきたい、そしてそれを今度は日常に生かし、自分に与えられた場で精一杯自分の使命を果たしていきたいと思います。
合氣道精神をもとに一燈照隅、萬燈照国、一隅を照らす生き方をしていけたらと切に願っています。
合氣道に出会えた感謝と喜びが心の底からいつも沸々と湧きあがってくるのを感じています。素晴らしい先生方、先輩方、仲間たちと共に、これからも、倦まず弛まず基本を大切にしながら稽古に励んでいきます。今後ともよろしくお願いいたします。